この男は支離滅裂なことをする。考えがあってのことなのか、それとも天然なのか。その笑顔からは読み取れない。
ちゃんと自分のアパートがあるはずなのに、何で帰んないんだ、こいつ。
実家に住んでいて、家出のような形で他人の家に居候する、それならまだ分かる。しかしこいつは俺と同様に独り暮らしで、話を聞く限りでは俺の部屋より幾分広い部屋だったはずだ。しかも大学までの距離も俺のアパートと大して変わらない。
それなら何故、1K7帖の俺の部屋に転がり込む必要がある?
俺が思うに、7帖は独り暮らしにはギリギリの広さだ。狭いキッチンからはみ出して行き場をなくした冷蔵庫や、母親が気合い入れて買ってくれたバカでかい本棚や、面倒で開きっぱなしにしている折り畳み式のベッドなどを部屋の隅から順番に置いていき、空いたスペースの真ん中に、生活の中心ローテーブルを一台。これで足の踏み場がほとんどなくなった。
一人でさえ狭い俺の部屋に住み着いたこの男。最初は飲みながら共に一夜を明かす程度だったのが次第にエスカレートし、二泊三泊。気が付いたら、大学が終わると一緒に買い物をして帰るようになっていた。気が付いたら、俺の部屋に荷物を持ち込んでいた。気が付いたら、洗濯物を一緒に干していた。気が付いたら、生活費を貰っていた。そして最終的に気付いたときには、完全に俺の部屋に住み着いていた。ここまで気付かなかった俺もバカだと思うが、この男はそういうことを、違和感を与えず徐々に、かつ自然にやってのける能力があるようだ。恐ろしい。お蔭ですっかり騙された気分。
台所に立つ背中に恨めしい思いを込めて視線を送る。すると、その視線に気付いたのかはたまた偶然なのか分からないが、タイミングよく男は振り向いた。
「腹減っただろ」
毒気を抜かれる笑顔。
「……うん」
彼が笑うと全部が全部どうでもよくなってしまうんだ、何故だろう。そんな自分が俺は嫌いだ。
料理掃除洗濯、彼の存在に疑問を抱きながらも鬱陶しく思えないのは、彼が家事全般を難なく、かつ自然にこなしてしまうからだ。勝手に居座った上に家事を全くしないならば、俺はさっさと彼を部屋から叩き出していたところだ。すぐできるからなーと言いながら、大根の皮を包丁でくるくる器用に剥いていく指先をぼんやり眺める。俺は大根の皮でさえピーラーを使わないと剥けない。林檎?そんなもの丸かじりだ。
どうしてこんなに器用なのだろう。スポーツは万能、成績だってそんなに悪いわけではないし、人付き合いだっていい。おまけに家事もできる。さらに何と言ってもルックスがいい。背も高いし。
そこまで連想してふと思った。
何でそんな完璧な男が、この俺と同棲のような真似をしているのだろう?
「そろそろ帰ろっかなぁ」
鍋の中身をかき回していた男は背を向けたまま突然、独り言のように呟いた。こいつの行動は本当に支離滅裂で脈略がない。ゆえに時々不意打ちを食らう。
「え、」
帰っちゃうの、と続きそうになったのを何とか飲み込んだ。しかし、しまった、失敗した。連想ゲーム紛いのことをしていたせいで、今の「え、」は驚き100パーセントを全面に押し出した「え、」だった。お前何で俺んちに居候してんだよ、という抗議の気持ちを少しは含ませてやればよかった。もしくは、お前が帰れば部屋が広く使えるから嬉しい、という喜びの気持ち。
「ずっと居ても迷惑だろ?」
――本人から改めてそう言われてみると、そうだね、と返せない俺がいた。
よくよく考えてみればそうなのだ、家事は勝手にやってくれるし生活費だって払ってくれるし、彼の居候は俺にとって得なことばかりなのだ。部屋が狭くなることと、家でも学校でも丸一日引っ付いていなきゃいけないことと、狭いベッドで添い寝しなきゃいけないことと、毎晩抱き枕代わりにされることは――まぁ、許容範囲か。薄々感じていたが、俺はこいつに甘いのではないかと思う。
うーん、と唸ったきりで何も答えない俺に、男はコンロの火を止めて近寄ってきた。その影に気付いて顔を上げる。そこには笑顔。
しまった、騙された。気分ではない、本当に騙されていたのだ。気付いたときには遅かった。降ってきた台詞に、今度は言葉も出なかった。
「俺、アパート解約するから」
俺はいつも気付くのが遅い。つまり俺がこいつに甘いことが全ての原因なのだということに、今やっと気付いたのだった。
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ツッ君の甘さにつけこんで押し掛け女房化する山本の図
同棲な設定じゃなく、ちょっと違った感じにしたかった