「ちょっと、何すんの……山本」
名前を呼ばれてもなお山本は、綱吉に覆い被さるような姿勢のままそこを退こうとしない。それどころかその端正な顔をぐいと近づける。綱吉の視界を逃す先を与えまいとするかのように。
「え……――冗談、でしょ?」
背中に汗がじんわりと滲み出すのを感じながら、綱吉は問う。
「本気、俺――……ツナ」
真剣な眼差しがそこにはあった。先程まで一緒にふざけあっていたときの明るい表情とは一転、歳の割に随分大人びた――色気を称えた表情。不意に不安になった。そしてその、熱のこもった視線に射竦められているという事実がむず痒くて、ぷいと顔を背ける。
「ツナ」
いつもの声のトーンとは明らかに違う、少し掠れた低い声。吐息がかかるくらいの距離で名前を呼ばれてぞくりとした。今正面を向いたら、今まで見たことのなかった、大人の男の表情がある。それを目の前にして自分がどんな表情をしたらいいのか、到底検討もつかない綱吉は、顔を背けたまま動くことができなかった。
恥ずかしい。
綱吉は思った。
「こっち向いて……ツナ」
耳元で囁かれ、吐息が耳を撫でる感触に背筋がぞくぞくした。
「……俺のこと嫌い?」
「……嫌いじゃないけど……」
綱吉は顔を背けたまま、視線だけを移して山本の表情を伺う。
「じゃあ好き?」
キスしていい。
山本のその言葉に、綱吉は一層顔を背けさせた。
「や、やだ」
綱吉は戸惑っていた。親友だと思っていた、信頼していた相手に、友達らしからぬ行為をされているという事実に。なぜ彼が自分を押し倒しているのか、キスしていい、などと尋ねるのか分からなかった。その意味も分からなければ、自分がどうしたらいいのかも分からない。とにかく一刻も早く、山本の身体の下から解放して欲しかった。
綱吉の言葉に、山本は傷ついたような表情をして黙り込む。
暫しの沈黙のあと、山本が小さな声で呟いた。
「そりゃ、いやだよな、わりぃ」
もうしないから。
綱吉は山本のその言葉で、この空間が先程まで保持していた熱が、急速に冷めていくのをはっきりと感じた。そうして自分から身体を離す山本の姿を見て、自分たち二人の関係までもが冷え込んでしまうのではないかという気がして、恐ろしくなった。
「や、山本」
声が上ずる。
「ごめん」
上体を起こし、ベッドの縁に腰かけた山本の背中に声をかける。山本は振り向いて、黙ったまま視線だけを綱吉に向けてきた。その視線はいつもの優しいそれではなく他所よそしいもので、綱吉は胸が痛んだ。
「……いいよ、しても」
今の綱吉には、口付けを許すよりも、彼との関係が壊れてしまうことのほうが怖かったのである。その言葉を聞いた山本は、綱吉の身体を一度きつく抱きしめてから、ゆっくりベッドに押し倒した。
また顔がすぐ近くまで寄せられる。山本が真剣な表情で自分の顔をじっと見つめてくるので恥ずかしくて、綱吉は視線だけを明後日の方向にずらした。
「……ツナ、可愛い」
え、今、何て。
それを考えるより先に唇に柔らかい感触が降ってきて、綱吉は動揺した。時間にして一秒。
キス、された。本当に。
「……やばい、可愛すぎ、好きだ、」
山本は独り言のように呟きながら綱吉を抱きしめる。綱吉は混乱していた。なぜ、どうして、こんなこと山本が、よりによって自分に。
「わりぃ、ツナ、ずっとキスしたかった」
好きなんだ。
耳元で唸るように告白されて、綱吉は呆然と天井を見つめることしかできなかった。どうして山本が、自分なんかに、好きだなんて。
「……え、冗談だよね、好きって」
「冗談なんかじゃねぇよ」
なぁ、もっとすごいことして、いい。
続けざまにそう言われ、ますます混乱した。
「お、俺、男だよ」
「分かってる」
「山本モテるんだから、誰か可愛い女の子としたほうが、」
「ツナがいいのな」
山本は一層強く綱吉を抱きしめた。そして条件を突きつける。
「……俺の言うこと聞くか友達やめるか、どっちかにして」
――無茶苦茶だ。綱吉は思った。横暴だ。無茶苦茶だ。
「なにそれ、やだよ、山本」
どっちにしろ自分に選択肢はないものと同じことではないか。綱吉には“山本と友達をやめる”などという選択肢、選べやしないのだから。
「答えないと離さねぇ」
そう低い声がして、山本の腕の力が強くなる。綱吉は観念した。
「……わ、わかった、言うこと聞く、」
戸惑いを残しながら小さな声でそう言うと、山本は弾かれたように顔をあげた。無邪気な顔。
あぁ、そうか。瞬時、綱吉は理解した。
――初めから自分には、山本の申し出を断るなんて選択肢は用意されていなかったらしい。
「ツナ」
真剣な表情に戻った山本がまた、至近距離で見つめてくる。熱の籠った視線。大人の男のそれ。だから恥ずかしいってば。言えなくて綱吉は焦る。
でも何故だろう、キスしたかったとか好きだとか言われても、気持ち悪いとか死んでも嫌だとか思わないのは、それどころか目の前に接近した山本の顔を見て、ああやっぱり格好いいよなぁなんて思ってしまうのは、真剣な表情で迫られた後でその裏側の無邪気な顔を見たら、ああそれでもいいかな、なんて思ってしまうのは。
「……本当に嫌じゃない?」
自分から仕掛けたくせに不安げな顔でそんなことを訊いてくる山本が可愛らしくて、綱吉は少し笑った。
「もっとすごいことって、」
言いかけたが、山本に唇を塞がれる。
「すげーキモチイイこと」
唇から唇を離し、にやりと笑った山本を見て、綱吉は目眩を覚えた。顔をじっと見られるのは恥ずかしかったけれど、熱っぽい視線に絡めとられて、上手く視線が反らせない。
「好きだ」
その言葉を聞いたら、あぁそれでもいいかなぁ、どころか、少し期待している自分がいることに気が付いて、死にたくなるほど恥ずかしくなったのだった。
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