一度だけだ。一度だけ、ツナから手紙が届いたことがある。その手紙には俺を困らせてしまったことと、突然学校を辞めたことに対しての謝罪の言葉が記されていた。自分が忘れたはずのことに対してまで謝罪するなんて、優しいツナらしい手紙だ。封筒の裏には律儀に療養所の住所も書いてあった。ツナがどんな気持ちでこの住所を記したのか俺には知る余地はないし、その権利もない。ツナのためと言いながら何もしてやれない現実が悔しい。何もしないことが一番という事実が悲しい。そうして俺はその手紙を、一度は机の奥底に仕舞い込んだのだ。そして忘れてしまおうとした。
けれど、忘れられるものではなかった。忘れられないって不幸せだな、一度は忘れようとしたツナについての記憶を紐解くと、涙まで溢れてきて止まらなかった。
だから一時間に一本もない電車を乗り継いでここまで来てしまったのも、忘れたいからだと思う。ツナは俺に向かって「誰?」と言うかもしれない、それならそれでいいんだ、ツナの中にもう俺がいないなら、ツナが元気にしている姿を一目見れればそれでいい、全部なかったことにして諦めることが出来るから。
覚えちゃいないだろう。消印から二年が経っているのだ、ツナが未だここにいるのかも分からない。それでも自分の中の記憶に整理をつけたくて、俺は目的の駅に降り立った。更にバスで揺られること二十分。緑が青々と生い茂る初夏のことだった。バスを降り、温い風を分けて敷地を進むと建物が見えてきた。その建物の前に、人影が――、
――あの頃の面影を残したまま、少しだけ背が伸びたツナだった。
ずいぶんと大人っぽくなった気がするのは、彼がまとっている落ち着いた雰囲気のせいだろうか。ツナは俺に気付いて、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
何を言われるのかと、俺は少し身構えた。ツナは考え事をするように視線を宙に泳がせてから、俺の目を見据えた。
「何かすごく大切な、忘れちゃいけないことを忘れてる気がするんですけど」
俺、うまく思い出せなくて、ごめんなさい。ツナは眉尻を下げ、困った顔のままで笑った。
「無理に思い出さなくて、いいよ」
忘れている、忘れているのか、忘れているんだよな。想定の範囲内、いや想像した通りだ。もういい、これで諦めがつくと思った、これでもう何も思い残すことは、
「あ、もしかして……山本さん?」
――……俺は、酷く驚いた。ツナの口から自分の名前がまた出てくるなんて思いもしなかったからだ。
「……あれ、違いました?」
ツナは恐る恐る訊ねてくる。
「いや……合ってる」
戸惑いながらも肯定すると、ツナはパッと笑顔になった。
「やっぱり!」
そしてポケットの中に手を突っ込んで何かを探す素振りを見せたと思ったら、一枚の紙を取り出した。随分古い紙なのか、いつも持ち歩いているであろうことを伺わせるシワシワヨレヨレの紙だった。
「山本さんに会ったら、俺もこれを言おうって思ってたんです」
何度も折りたたまれ、今にも折り目から千切れてしまいそうなそれを開いて読み上げた。不意に強い風が吹いてきて、木々の葉が擦れ合いざわざわと音を立てた。俺の心もざわりと音を立てる。
「今までもこれからもずっと、俺は山本が好きです」
そして顔を上げると、昔よく見せてくれたそれと同じ、優しい笑顔でこう言った。
「俺が保証します」
俺はツナを抱きしめた。
end
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