ダメじゃない:マフィアになる/ならないを決める話
助けてよ:「自分の意思で渡伊しない山本」を山ツナでやったらどうなるか
愛って悲しいね:こう考えると鬱だ
念願だったはずの合格通知をビリビリに破いて、金網の向こうに投げ捨てる。俺はそんなツナを呆然と見つめていた。ひらひら宙に舞う、合格通知だったソレ。その片割れは俺の指先に摘ままれている。せっかく二人揃って合格したのに、俺のだけ残ってたんじゃ意味ねぇじゃん。
「な……に、してんだよ」
ツナは舞い落ちる紙吹雪を見送ってから俺に向き直った。そして頬を赤らめて、笑顔で宣言する。
「ごめんね山本、俺、高校には行けない!」
俺は一瞬、ツナの言ってる意味が分からなかった。ツナと俺は同じ高校に行こうって言って、この半年一緒に勉強してきたんだから。一週間前に試験を受けて、大丈夫だよなんて励まし合って、やっと手元に届いた、あんなに欲しかった合格通知だったのに。
ツナは金網に向き直って、続けた。所在なさげな指先が金網を掴む。その向こうは青空だ。喜びに満ちた生徒の声が遠くから聞こえている。
「……ごめんね山本、こんなはずじゃ、なかったんだけど」
多分ツナが言いたいのは、度々話題に出ていたマフィアのことだろう。獄寺はツナのことを相変わらず十代目と呼ぶし、あの小僧もマフィアらしい。あいつらはツナを当たり前のようにマフィアの仲間として扱う。でもツナはさ、元々俺のクラスメートだったじゃん。仲良くなったのはあいつらが来てからだけど、俺はツナをマフィアなんて目で見たことなかった。俺はあいつらが来る前も来てからも、ずっとツナを自分と同じラインに置いていたつもりだったけど、ツナはそうじゃなくて、俺の知らないところで俺を置き去りにしていたのかもしれない。
「やっぱりね、ダメだったんだ」
明るい口調で何でもないことのように、ツナは吐き出した。また赤点取っちゃったよ。俺、ダメツナだからさ。そう言って笑うときと同じ口調で。でも俺はツナの声が震えて、台詞がよれたのを聞き逃さなかった。
俺は手を伸ばして、ツナの頭を撫でた。ツナは金網の方を向いたまま俯いて、顔を上げようとしない。
「ツナ、頑張ったのにな」
だってツナ、全然赤点でもねーし、ダメでもねーもん。ちゃんと合格したじゃん。
そう言ってやると、鼻をすする音がひとつ聞こえてきた。ツナ、と名前を呼べば、顔を伏せたまま金網から手を離し、俺にしがみついてくる。
「せっかく受かったのに、山本と一緒に高校行きたかったのに」
弱々しい本音と涙でシャツが濡れる感触に、俺はツナが本当に愛しいと思った。
だから俺はツナの両肩をそっと押して自分から引き離した。残された片割れをぐしゃぐしゃに丸めてぶん投げる。野球ボールみたいにうまく飛ばなかったけれど、それはへろへろと頼りないながらも金網を飛び越し校庭へ落ちていった。その一部始終をぽかんとして見ていたツナは、俺と視線が合うと涙をぼろぼろ零してまた泣き出した。俺は両手でツナを抱きしめた。
「行かねーよ」
俺の一言にツナはあからさまに傷付いた表情をした。その表情に、俺の胸にはザクリと鈍い痛みが走る。
なるべく冷酷に冷徹に、まるで何でもないことのように突き放した。するとあの時のこと、屋上ダイブのことを思い出した。あの時も俺、ツナに酷いこと言ったっけ。それなのにツナは俺を助けてくれたっけ。
でもツナは、あの時みたいに俺を助けてはくれなかった。
「……そう」
俯いて、そう呟いただけだった。
助けてくれよ。心臓が締め付けられて喉の奥から不快感がせり上がってくる。
助けてよ。ツナを傷付けるのはいつだって俺なのに、俺はそれでもまだツナが自分を救ってくれることを心のどこかで信じているのだ。
ただ唇が微かに震えているのが見えた。泣くなよ。触れられる位置にあるふわふわの髪の毛をいつもみたいに掻き回して、嘘だよと言ってやりたかった。でもそれをしてしまったら、俺は何がなんでもツナから離れたくなくなってしまうだろう。ツナからは見えないようにして拳を握った。食い込んだ爪が痛い。
ツナが俺にくれる無条件の優しさが好きだった。ツナが好きだった。無条件で許してよ、無条件で受け入れて、無条件で救ってくれよ。
そんなんじゃねぇよ、気付いてくれよ、一緒にいさせてくれよ。本当はそんなんじゃないんだって気付いて欲しい、俺は我儘で最悪だ。ツナを試すような真似をして、自分で自分の首を絞めるのだ。
ツナが俺を置いていってくれるなら、もう俺はツナを諦める。ツナの判断を諦めるための言い訳に使うなんて俺は卑怯だ。でもツナ、お前は知らないだろ、俺がどんなにお前に執着してるかなんて。
俯いたままのツナは静かに口を開いた。
「……俺は、どうしたら山本を楽にしてあげられるか、分からないよ」
一呼吸置いて、ツナは顔をあげた。
「ごめんね、それでも連れてくよ……一緒に行こう、イタリア」
泣いているかと思ったのに、その瞳は意外にもまっすぐに俺を捉えていた。俺は何も言えなかった。視線を反らすことも出来なかった。それでもツナが「意外と我儘なんだよ俺は」と目尻を緩ませたとき、やっと思いっきりツナを抱き締めた。鼻の奥がツンとする。柄にもなく、泣きそうだった。
山本は俺に一生を懸けると言った。何でそんなことになったのかと言えば中学の頃、自暴自棄になって自殺しようとした山本を俺が助けてしまったからだ。あの時死ぬはずだった山本を生きながらえさせたのは俺で、山本は俺のお陰で生きてるんだから、失うはずだった残りの人生を俺にくれるのだと言った。
それこそ自暴自棄なんじゃないかと思う。山本の人生までもを背負い込む余裕なんか俺にはないし、俺はそんなことをしてもらいたくて山本を助けたんじゃない。山本を不可抗力にしろ追い詰めてしまった罪悪感から解放されたかっただけだ。あれで全部終わってくれればそれで良かったのに、一生をくれるなんて倒錯の世界だ。
山本は、あの自殺の一件がなければただのクラスメートで終わったかも知れなかった、最も遠かった人だ。憧れていたし好いてもいた。
でも結局は、今の俺たちの関係は倒錯なのだ。そこに俺の意思は存在しない。山本はツナのために生きるとかツナに一生捧げたんだとか平気で言う。でもそれは俺が山本を助けてしまったからで、それ以外に理由はない。俺の人格の中に山本を惹き付ける理由なんかない。
生きる理由は俺だと言われる度に苦しくなる。生きてることが辛いみたいだ。それが本当なら、山本の生きる理由の中に山本の意思は存在しないということだ。俺が助けたから生きている、俺が生きろと言えば生きる、俺が死んでくれって言えば山本は死んでくれるんだろうか。そうやって山本の気持ちを探す言葉は、酷く切ない。
俺は山本が思うような人間じゃない。君を助けたのは事実だけど結局はそれだけで、君が思うような立派な人間じゃない。倒錯だ。
どうして助けてしまったのか、助けなければ良かったか、そうすれば彼は倒錯の世界なんかじゃなく俺自身を見てくれただろうか。いやきっと、あのことがなければ俺達は関わることすらなかった。一生を懸けるなんてプロポーズみたいな台詞が苦しい、悲しい、不本意だ、そんなの欲しくない。
命がどうとか関係なく、俺は山本が好きだ。俺のためって囁く山本が好きだ、でも俺が見ている山本は俺に言ってるんじゃなく、自分を助けた俺に言ってるんだ。ちょっとした夢に迷い込んでしまったような気分で追い縋りたい。夢が醒めてしまえば俺を好きな山本は居なくなってしまうかもしれない。今なら戻れるんだ、俺はそんなんじゃないって言ってしまえば他人に戻れる関係を、壊したいと願っているのは俺自身だ。ホントはあの時君のことなんかどうでもよかった、ホントに君が欲しいのは今の俺なんだよ、俺は君が思うような聖人じゃないもっともっと浅ましい人間で、倒錯じゃなく君を手に入れたいと思ってるんだ、一生なんかいらない、君の気持ちが欲しいよ。
俺の中の全部を吐露したら、山本はどんな顔をするだろう。その答えを俺は知らない。
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