「――ツ、ツナ君っ!」

 必修授業が始まる五分前の教室。俺と同じグループの笹川京子ちゃんが、血相を変えて飛び込んできた。教科書をごそごそやっていた俺は、自分の名前が呼ばれたことに驚いてそちらを見る。そして京子ちゃんのただ事ではない表情にビビる。
「ツナ君、あの、や、野球場の方に、」
 息を切らしている京子ちゃんは、大げさに肩を揺らしながらよろよろと俺に近づいてきた。
「――とにかく、来て!」
 え、え、え?
 あれよあれよと言う間に腕を引っ張られ、俺は教室の外に引きずり出された。そのまま引き摺られる格好で野球場の方まで連れて行かれる俺。何で野球場?何で京子ちゃん?何?

 野球場の周辺には人だかりが出来ていた。カキン、という小気味良い音が響き渡り、続いておーとかきゃーとかいう歓声が続く。俺は大学に進学してこの方一度も野球場になんて縁のないキャンパスライフを送っていたのに、何で突然野球場?
 京子ちゃんは人ごみを掻き分けてずんずん進んでいく。情けなく引き摺られていく俺。そうして、バッターボックスに立っていた一人の男の前に突き出された。
「……つ、連れてきました!」
 男にそう短く告げると、京子ちゃんは逃げるようにその場を去った。え、ちょっと待って置いてかないで京子ちゃん!

 彼女の背中を見送って、俺は恐る恐る男に向き直った。男は背が高いので、俺は必然的に見上げる形になる。
 男は肩に担いでいたバットを放り投げて、俺の両手を取った。
「……沢田綱吉、だよな?」
 人の良さそうな笑み。その表情に少し気が緩んだ俺は、迂闊にも返事をしてしまった。
「は……はい」
 それを確認すると男は満面の笑みを浮かべて、何の躊躇いもなくその発言をした。

「俺と、結婚してください」

 そうして深々と一礼。
 俺は何の反応もできず、男の姿をただ呆然と見つめていた。


 食堂に移動した――というか、恥ずかしかったので俺が連れてきた――俺たちは、正方形のテーブルに向かい合わせで座っていた。
「可愛いのなー、ツナ」
 にこにこしながら俺を見つめているこの男は、山本武というらしい。俺と同い年で、違う大学に通っている。何故野球場にいたのかと問うと、“見てたらやりたくなった”そうだ。
「俺、高校んときに甲子園行ってさ。さっき野球やらしてもらってたんだ。んで、何か気付いたら人だかりが出来てたのな」
 山本は紙パックに刺さっているストローの端を咥えながら、そう言ってへらりと笑う。なんだそりゃ。京子ちゃんが俺を呼びに来たのは大方、山本があのギャラリーに向かって“沢田綱吉知ってる奴いたら呼んできてー”なんて叫んだ――というところだろう。想像して俺は頭を抱えた。何て恥ずかしい。平穏だったはずの俺の学生生活が……。
「それで……そんな有名人が何で俺のところに」
 何度も言うけれど、俺は野球とは縁も所縁もない生活を20年間送ってきたわけであって、そうすると当然山本のことなんか知らないわけで、何故こうして顔を突き合わせているのか、思い当たる理由など何一つ持ち合わせていないつもりだ。
「そりゃ、プロポーズしに?」
 けろりとした顔で平然と言ってのけた。そして、飲む?と紙パックのジュースを差し出す。いやいやいらないし。
「――っていうか、何で俺!?」
 つい大きな声になってしまった。授業時間中で、食堂内の人が疎らなのは幸いだった。俺は一人で恥ずかしくなって、少しだけ背中を丸める。
「……親父に言われてきたんだ」
 俺の親父とツナんとこの親父さんは学生時代の同級生でさ、何か、約束したらしいぜ?ツナの親父さんとこに子供が出来たら、20歳になったとき俺の嫁にくれるって。
「だからツナは俺の嫁なのな」
 そうしてまた俺に笑いかける。笑顔は爽やか。言っていることは無茶苦茶。そう言われたって俺そんなこと全然知らなかったし、山本のお父さんと俺の父さんの約束って俺に関係なくない?っていうか、その前に。

「……俺、男だけど」
「ん、関係ないんじゃね?」
 あっさり即答。

「どんな奴かと思ったけど、ツナ可愛いし、俺のタイプ」
 ……なんだか、もう何を言っても無駄な気がする。この人は俺の常識の三歩斜め前を行っている。無駄な抵抗という言葉が思い浮かんだ。
「――なぁ、とりあえずデートしようぜ、デート」
 いつにする?と満面の笑みを浮かべる山本に、俺は人知れず溜息を吐いたのだった。








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