憧れみたいなやつがいつのまにか形を変えて、恋みたいなやつになったのはいつだっただろうか。
小さな背。薄っぺらい背中。細い肩。皆は彼に対して、世間でいう否定的な評価をする。
でも皆知らないだけなんだ、ころころよく変わる表情が男のくせに可愛らしいこと、情に厚く感情が高ぶると泣いてしまうくらい涙脆いところ、いざというときの意思の強さ、そして何より彼の笑顔は花が綻ぶようで、俺を安心させてくれること。彼は俺にはないものを沢山持っている。それだけで十分、人間として魅力的だった。
その彼と、いつも行動を共にする「親友」になれた。それだけでも十分だったはずなのに、どうして、どうしていつの間に、それだけじゃ足りないと思ってしまったのか。他の友人たちと話していてもついつい横目で彼の姿を追ってしまう。悪いと知りながら聞き耳を立ててしまう。いつもいつも彼の姿を探していた。そして心の中で願っていた。
少しでいいんだ、こっち見て、笑ってよ。
それでもどうして、彼は俺のものではない。この感情が沸きだしてしまってからは、なぜか口の中がカラカラに渇いて動悸が可笑しくなる。以前の調子を完璧に忘れてしまった俺は彼の名前を呼ぶこともできず、視線でその背中を追うだけだった。
第一に問題がある。俺は男だ。彼だって男だ。だから普通は、男に対してこんな気持ちを覚えるのは可笑しい。でもこの感じ、小学校のとき経験した初恋にとてもよく似ていて、ひどく戸惑う。他の男友達に対しては何とも思わないのに、何故、彼だけ。
分かっているのは、この感情を口に出してはいけないということ。口に出したら優しい君はきっと笑ってくれる。でも眉尻は下がり困ったときの形になって、それでも君は「俺も好きだよ」なんて言ってくれるだろう。そしたらもう、友達にすら、戻れない。
自覚したのは、彼が俺の家に泊まりに来たときのこと。互いの家に泊まりに行くのはさほど珍しいことでもなかった。いつものように一緒にベッドに潜り込んで気付く。
近い。近すぎる。
真っ正面から向き合ってこの距離は、まずい。
今までも同じベッドで、この距離で一緒に寝たことはあったはずなのに、何故かその時、そう思ってしまった。そのことに気付いてしまった。それからは、心臓の音がうるさくて堪らなかった。その音が全身に回って、ついに脳まで揺さぶられているような気になった。変な気分。やばい。ダメかも。
暑いからとか適当に理由をつけて、床で寝ると言った俺に対して、彼はそんなの駄目だと言い出した。ツナはこうなったらきかない。変なところで強情なのだ。
布団を一枚剥いで寝たら丁度いいよ。彼は言うが、俺にとってはそういう問題ではない。一緒のベッドに入ってるってことが問題なんだってば。
彼に背を向けて横になってもその夜は上手く寝付けなかった。寝返りを打つと彼は俺の方を向いて横になっていて、静かに寝息をたてていた。無性に触りたくなって、頬にそっと触れた。柔らかい感触。自分の頬をつついた指に反応して、身動ぐ彼。ん、と、小さな口から吐息混じりに漏れる小さな声。妙に扇情的でどきりとした。もっと触りたいと思った。キスしたいと思った。
けれどそれと同時に罪悪感に襲われた。心臓がちくりと痛んだ。
気付かなかったふりをして、俺は再び彼に背を向けて目を瞑った。心臓の高鳴りは治まらず、結局寝付くことは出来なかったのだけれど。
これは恋かもしれないと、気付いてからが大変だった。以前のようにスキンシップをとることが上手くできなくて、自分でも戸惑った。これほどまでとは、思わなかった。
どう接していいか分からない反面、俺はもっとずっと彼の側に居たかった。彼と一緒にいる時が幸せだと思える。幸せ、というと大袈裟かもしれない。とにかく彼の隣にいるとき、俺の心は浮かれまくってしょうがない、そういうこと。
彼のことを考えれば考えるほど、気持ちは勝手に膨らんで、ついには俺の手には終えない状態になってしまっていた。
だから、ねぇ今日山本の家に泊まりに行ってもいいかなぁ、なんて申し出があったときは、舞い上がるほど嬉しかったけど、何だか気恥ずかしくて、何だか妙に緊張した。
どうする必要もないと分かっていながら、どうしよう、と思った。妙に気合を入れて部屋を片付けてみたりもした。緊張しすぎて心臓が痛い。
そうこうしている間にツナがやってきて、その顔を見たら何だか気恥ずかしくなって、俺は極力彼の顔を直視しないようにしながら、彼を自分の部屋に通した。
夜になって、いつものように一緒にベッドに入り、二人して天井をぼんやり眺めながら他愛もない話をする。そのうち隣から微かな寝息が聞こえてきて、俺は彼の方を見た。
彼はこちら側を向いて横になっていた。小さく開いた唇。目の前にある寝顔。どきり、とした。
俺は、最低だ――……一瞬でも己の欲望を突き付けてぐしゃぐしゃにしてやりたいと、仮にも親友である彼に対して、一瞬でも、思ってしまった。彼はそんなんじゃないのに。親友、なはず、なのに。最低だ。
罪悪感が溢れだした。でも好きなんだ、好きなんだ。どうしようもないんだ。二つの感情に板挟みになった俺の心臓は、きゅうきゅう音が鳴るほど締め付けられているようで痛かった。罪悪感でいっぱいで、このまま彼の側に居てはいけないと思った。ベッドを出て、ベッドに寄りかかって膝を抱えた。何故か涙が出てきて止まらなかった。
山本、と小さな声がして、俺は慌てた。手で目元を拭ってみたけれど、それで涙が止まるわけではなかった。
ツナは気を使ってくれたのか、俺の正面に回ってくることはなかった。好きだと思った。すごく好きだと思った。けれど口に出すにはあまりに不釣合いな感情だと思った。一言で好き、で終われたらどんなにいいことか。俺はずっと彼と一緒に居たいんだ、ただ一緒に勉強したりだとか遊んだりとか、時々こうやって一緒のベッドで眠ったりとか、それでいいんだ。それ以上を求めたらいけないんだ。俺も好きだよ、なんて彼は言うだろうけど、その時の彼はきっと困った顔をしているだろうから。
俺は優しい彼のために、このどうしようもない気持ちを絶対に口に出さないと決意した。そしてこのどうしようもない愛を、違う形で彼に伝える方法を考えた。
「ツナ、俺、ツナを守るよ」
ぐすぐす泣きながらそう言うと、ツナはうん、とだけ返事をして、ぐずぐず泣き止まない俺の背中を優しく擦ってくれた。
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