リング:未来捏造
ただ息をする:ホスト×一般人/パラレル
懺悔なんです:山本の過去を200%捏造+鬱
慣れてしまえば然程気にならなかった。それは最早身体の一部のようなものだ。けれどふとした瞬間、指に絡む数グラムの確かな存在に気付かされる。それは確かな存在感を持ってここにある。
あー、俺、マフィアになったんだっけ。
今でも不思議だ。自分が当たり前のように指輪をして生活しているなんて。
バットを握るときに指輪はしていられない。グリップに指輪が当たって気が散るし、握力に影響も出る。初めてボンゴレリングを貰ったときも、最初こそ指にはめていたけれど、やっぱり窮屈ですぐ外した。大事なものだって言われたから鎖に通してネックレスにした。これなら野球をするのに邪魔にならないから。
だから野球をしていたら指輪なんて一生着けなかったかもしれないのだ。いや、結婚指輪くらいはするのかな。もしマフィアじゃなくて野球やってたとしたら、俺、ちゃんと嫁さん貰えてたんだろうか。
頭上に手を伸ばして指輪を眺める。相変わらず手は豆だらけだけど、バットじゃなくて刀で出来た豆だ。傷だらけの手。この手に指輪はやっぱり似合わないと思う。何となくそう思った。アクセサリーはよく分からない。獄寺は好きでやたら沢山持ってたっけ。そういやあいつの手は火傷だらけだった。俺の手は切り傷だらけだ。
ソファーに凭れてそんなことをぼんやり考えていると、背後で扉の開く音。待ち人が来たようだ。
振り向くと彼は苦々しい顔でこっちを見ていた。もしかしたら今来たわけではなく、しばらく俺の様子を黙って見ていたのかもしれない。それでこの表情なら説明がつく。ツナは未だに俺をマフィアの道に引きずり込んだことを後悔しているのだ。俺は俺なりに自分の中できちんと折り合いをつけて、自分の意思でマフィアになったつもりなのに、ツナは自分のせいで俺をマフィアにしてしまったと思っているらしい。
だからそうじゃねぇって、違うんだよ。そりゃ未だに、あー俺ホントにマフィアなんだー、って思うことはあるよ。でもさ、マフィアになりたくなかったーとかマフィア嫌だーとか、そういうんじゃねぇのな。あー、ツナはマフィアになりたくなかったかもしんねぇけど、そういうんじゃなくてさホント、上手く言えねぇけど。
説明しようとして上手く出来ないことに気づき、言葉を飲み込んだ。言い訳が聞きたいんじゃない、分かってる。
だから手を翳したまま笑ってやった。
「なぁツナ、俺、結婚指輪欲しいな」
ツナは突然そんなことを言われたものだから、更に怪訝な顔をした。そして何いきなり結婚すんの、と変な顔をしたまま興味なさそうに呟いた。ああそうだぜ、と返すとツナは顔を強張らせて黙った。顔に意味が分からないって書いてある。
だからさ、俺は俺なりの理由でお前についてきたんだって、分かってくれよ。
「この指輪がツナとの結婚指輪だったらなーって考えてた」
そう言ってやるとツナは一瞬目を見開いて、それから弾かれたように笑い出した。何言ってんの山本、と屈託なく笑う。ああその顔が見られるだけでも俺、マフィアになって良かったよ。俺なりの理由が沢山あるんだ。ツナとの結婚指輪が欲しいってのも、ただの冗談じゃないんだけどな。
同棲しているくせに超すれ違い生活を送る俺たちが一日の中で一緒の空間に居られる時間と言ったら、山本が仕事から帰ってくる早朝五時から俺が仕事へ行く朝八時までの三時間ぽっちだ。しかも山本が帰ってくる早朝五時という時間は俺が寝ている時間で、貴重な睡眠時間を削られたくない俺は微睡んだまま、玄関の鍵が開く音と足音で山本が帰ってきたことを知る。起きて出迎えたり、おかえりなさいを言ったりはしない、そんなことするもんか。第一俺は認めちゃいないのだ。
壁を向いてベッドに寝ている俺の背中側に山本は潜り込んで、俺の首筋に鼻を擦り寄せる。微睡みの中で山本の体温と石鹸の匂いを感じる。そうして約二時間。俺たちは寄り添って眠る。
朝、俺は寝ている山本を残したまま仕事へ行く。帰ってくる頃にはもう山本は仕事へ出ている。山本は売れっ子ホストらしい。よくは知らないし知りたくもないけど忙しいらしい。顔を突き合わせて会話をしたのはもう何日前だろう。背中越しに感じる熱が遠い、近いはずなのに全然近くない。俺たちにとって互いはさながら空気のようなものだ。山本が同伴とか何とかで帰ってこない朝は不自然なもので、帰ってくる朝より意識が冴えた。
酒臭いだの煙草臭いだのと山本を罵ったことがあった。俺は山本が酒と煙草の臭いをプンプンさせて帰ってくるのが嫌だった。酒臭いまま一緒のベッドに潜り込まれると無性に腹が立ってベッドから蹴落としてやりたくなる。寝起きの不機嫌さにかまけてそう伝えると、山本は本当に申し訳なさそうな顔をしてバスルームに引っ込んだ。早朝六時のことだ。
それ以来、山本は帰ってくると真っ先にシャワーを浴びるようになった。酒の臭いもあまりしなくなった。あまり飲んでこないようだ。よく知らないし知りたくもない。だから俺は認めちゃいないんだって。
お前の帰ってこない夜がどんなに息苦しいかお前は知らないだろう、俺の知らない所で彼が綺麗な女の人と酒を飲んだりデートしたりしているシーンが嫌でも浮かんできて酷く意識が冴える。仕事だから仕方ない、で済んだらどれだけ良かったか。最初に好きだと言ってきたのは向こうなのだ。ああ、誰にでも好きって言ってんのか。だいたい何が好きで女とデートしてきた後に男と添い寝しなきゃいけないんだ。考え出したら止まらなくなる。
考え始めたところで、玄関の鍵が開く音がした。控えめに鍵を落とす音と控えめに廊下を進む音。シャワーの音が途切れたら、彼はまた俺の背中に寄り添うのだろう。最近ではきちんと帰ってきてくれるから、俺は覚醒していても寝ているふりを続けてやることにした。
足音が近づいて、ベッドが軋む。暖かさが背中側に滑り込む。背後から俺をそっと抱き締めて首筋に鼻を擦り寄せて、好きだぜ、と囁く。聞こえてるって分かってんのだろうか、だから俺は今朝も彼のぶんの朝食まで用意して、家を出るのだ。俺には彼が分からない。俺たちにとってお互いは空気のようなもので、だから今日もただそこに寄り添って、ただ息をする。
俺の母親というのはもうとにかく情緒不安定で、何かの拍子に一度ぶちんと糸が切れてしまうともう止められなかった、そんな人だった。母親は母親のくせに子供である俺にことあるごとに当たり散らした。俺のちょっとした仕草や表情に何かとつっかかって叱った、いや、あれは今思えば、既に悪意のある中傷に達していたかもしれない。
俺はそれでも母親が嫌いにはなれなかった。自分の親だからだ。それに確かに時折優しくて、まだ子供だった俺はその優しい母親が常でいて欲しいと切実に願っていたのである。
笑えばいいと思った。俺が笑えば母親も機嫌を直してくれるんじゃないかとか、誤魔化されるんじゃないかと思った。子供だった俺が考えうる精一杯だった。そうして俺は辛いときでも笑っていることにした。無理やり取って付けた不格好な笑顔だったに違いない。しかし笑顔でさえいれば何とかなると思ったのだ。
しかし母親は母親のくせに、子供である俺にことあるごとに当たり散らす人だった。俺のちょっとした仕草や表情に何かとつっかかって中傷した。死ねとも言われた。そして母親は俺の精一杯の自衛に対して言った、「お前は笑うな」。
それでも俺は母親を恨んではいない、親父と離婚するとき母親は俺を抱きしめてごめんねと言った、泣いていた。気の強くていつも尖っていた母親の、初めて見た弱々しい姿だった。それを見たら俺はもう許す許さないよりもどうでもよくなってしまったのだ、そんな姿は見たくないとすら思った。それでも時々母親の「笑うな」を思い出す。背骨を砕かれてガラガラ崩れていきそうな、その言葉を。
そんな話をしたらツナはすごく嫌そうな顔をして、俺は山本の笑顔好きだよ、と唇を尖らせた。ツナが俺なんかの代わりに怒ってくれてんだと思ったら嬉しくなって、俺は笑顔を作った。多分不恰好だっただろう、ツナは泣いてもいいんだよ、と優しい声で言ってくれた。あの時俺も泣いたらよかっただろうか、もし泣いていたら、母親は「泣くな」と罵ってくれただろうか。泣こうか泣くまいか迷ったけど、上手く泣けなかったら困るので、泣かないことにしておいた。
もどる