ふわふわした暗闇はちょっと怖くて、早く山本に会いたくなる。ずっと憧れていた山本と二人きりの夢は照れ臭いけれど嬉しい。でもこれは夢だから、終わりがある。それが悲しい。
ドアを横に引いたら、今度は廊下だった。ちょうど俺は教室から廊下に一歩踏み出した状態だ。辺りを見回したけれど、誰もいなかった。窓からは昼間より幾分柔らかくなった光が差し込んでいる。陽が傾き始めていた。
遠くから足音が聞こえる。誰もいない校舎の中でその足音は妙に鮮明に響いた。音のする方を振り向くと、向こうからジャージ姿の山本が歩いてくるのが見える。
一瞬、既視感を覚えた。
「よー、ツナ」
山本は俺の姿を確認すると笑顔を向けてきた。
「山本、どっか行くの」
すると山本は答えた。
「今から練習行くんだ」
練習?
誰もいないのに。
「……ツナも来るか?」
山本は言う。一人ぼっちになると思った。俺の夢には何故か山本しか出てこないから、山本と離れ離れになったら俺は一人だ。それは嫌だ。俺は山本についていくことにした。
山本の背中を追いかけながら、さっきの既視感の正体について考えていた。既視感も何も……俺は一度現実で、部活に行く山本の後ろ姿を見送ったことがある。その時俺は山本に「頑張ってね」と言って、山本は「おう」と笑顔を返してくれた。俺はそれが嬉しくて、そのときの事をずっと心に留めていたのだ。だからこの夢も、俺が無意識下に呼び出してしまったものなのかもしれない。
グラウンドに出た山本はストレッチを始めた。それから校庭を何周かランニングする。俺はしばらくそんな山本の姿を地べたに座ってぼんやり眺めていた。制服が汚れるのは気にしない。だって夢なんだから。ちょうどいい温度の風が肌に心地いい。強くもなく弱すぎない緩い風が木々を揺らす音がグラウンドに満ちる。山本が地面を蹴る軽快な音がする。何もかも俺にとって心地いいのはきっと、これが俺の夢だからだろう。
「そうだツナ、キャッチボールしようぜ」
ランニングを終えた山本が思い付いたようにそんなことを言った。何を無茶言ってるんだ。同じクラスだった頃に、俺の運動音痴っぷりは十分披露したはずなのに。
「俺、下手だから練習にならないよ」
そう言うと山本は笑った。
「大丈夫、ここがどこだと思ってんだよ」
そうだ。何もかも思い通りになるならきっとキャッチボールだって上手くできるはずだ。納得した俺はグローブを受け取って、山本から距離を取った。
まるでそれが自然な反応であるかのように、俺の身体は山本の投げたボールを追った。俺が投げるボールも途中でへたれることなく、緩やかな放物線を描いて飛んでいく。俺は山本と普通にキャッチボールしていた。現実じゃまずありえない。
「山本、は、さ」
振りかぶって投げる。
「何?」
山本も言いながらボールを放る。ちょうどいい位置に落ちてきたボールを受け止めて、投げ返しながら尋ねた。
「ホントに、俺の夢?」
パシン、とグローブが音をたてた。手の中のボールをもて余しながら山本は言う。
「それは、どういう意味?」
いつの間にか俺たちは長い影を引き摺っていた。タイムリミットが急に迫ってきた。まるで俺を夢から閉め出したいような態度だ。
「ホントに夢だったら、山本は俺の思い通りになるんだろ?」
山本は何も言わない。口角を微かに上げて、俺をじっと見つめている。
山本にとっては何でもない日常の一コマは、俺にとってはすごく大切な思い出だ。こんな夢を見たせいで、閉じ込めていた想いがじわりじわりと溢れ出してきた。
「俺は山本を、独り占めできたらいいと思ってるよ」
ずっと思っていた。誰からも好かれてクラスの人気者である山本が俺の側にいて、それでどんな意味でも俺を好きになってくれたらいいと思っていた。本当なら絶対言えないことも、夢の中でなら言える。
「ここでなら、俺はツナのものだぜ」
山本は言う。その笑顔はどこかひしゃげていた。
「夢じゃなくても、俺はずっと思ってたよ」
ずっと思っていた。山本のことが好きだった。好きと形容して構わない気持ちだと思う。
「夢じゃなくても山本に会いたい。それが嫌ならさっさと起きろよ」
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