ツナは深夜十二時を回る前に、俺の前から姿を消す。
「十二時を回っちゃうとさ、魔法が解けちゃうんだよ」
まるで、写真に撮られると魂が抜けちゃうんだよ、みたいな言い草で、ツナは冗談めかして笑った。他の友達と一緒にいるときにもツナは日を跨ぐ前に姿を消す。だから俺達も冗談のつもりでシンデレラみたいだと笑った。
俺はツナが好きだった。他の友達の誰よりもツナが好きだった。出来れば日付が変わった次の日もその次の日も、ずっとツナと居られたらいいなと思うのだ。愛しいんだと思う。ツナとだったら普通、女の子相手にする行為だってしてみたいと思う、俺はちょっと変なのかもしれない。
ツナはいつもどこか儚げで、時々ぼおっとしていたり、曖昧に笑うこともあった。誰かが何かを話すと視線を宙に彷徨わせて、それを懸命に思い出そうとするような仕草を時々した。それでも最後には明るく笑ってくれるので、誰もその違和感には気付かなかった。支離滅裂なことなどなかった。どれもこれも全部、ツナが上手に隠蔽していたからだ。気付かなかった俺達は馬鹿だった。いや、俺が、馬鹿だった。ツナと一緒に居られるだけでよかった。だから俺はツナの言うことを聞いてやるべきだったのだ、馬鹿な俺の子供染みた我儘が、ツナをあんなに傷付けるなんて、思いもしなかった。
「何で日付変わる前に帰んなきゃいけねーの」
ツナに訊ねたことがある。
「だから、魔法が解けちゃうんだよ、魔法」
いつ訊ねても返ってくるのは同じ、この返事だ。いつもなら何だよそれと笑い飛ばすところを、このときは何故か食い下がった。
「その魔法って何、門限とか?」
ツナは眉尻を下げて、門限じゃないけど、と、ちょっと困った様子で言う。
「魔法は魔法なんだよ、シンデレラみたいにさ、変わっちゃうんだ、世界が」
魔法が解けたら世界が変わる。
数日後、俺はその言葉の意味を身を持って体験することになる。
或いはその言葉が免罪符になると思ったのだ。
「好きなんだ」
そう伝えるとツナはオロオロして、泣くのと笑うのを一秒おきにやってのけたような、変な反応をした。それが面白くて笑うとツナも、恥ずかしかったのか、照れたように笑った。それで許して貰えたと思い込んでしまったのだ、俺は馬鹿だから、ツナが一定の距離を保つ努力をしていたことにも気付かずに、その領域に土足で入り込んでしまった。ツナがそんな俺を力づくで拒まなかったのはただの優しさで、俺はやっぱり馬鹿だから許してくれたものだと思って、付け上がった。それで全部壊れてしまった。
付き合って二ヶ月が経つかという頃、学校の帰りにツナを自宅に誘った。今まで二人で会うときは必ず、ツナの方から休日の昼間を指定してくる。そして日が暮れる頃に帰ってしまう。だから今まで二人だけで夜を過ごすことはなかった。
俺の誘いに、ツナは時々やるように視線を宙にさ迷わせてから、申し訳なさそうな顔をしてごめん、と呟いた。
「駄目なんだ、あんまり遅くなっちゃうと十二時前に帰れなくなる」
あえて言わなかったけれど、俺はツナがこの誘いに乗ってくれたら、初めて一緒に日付を跨いでみようと思っていたのだ。咄嗟に見えすいた嘘を吐いた。
「十二時前には帰すから」
本当に見えすいた嘘だったらしい。ツナは俺の顔をじっと見つめた。確かめるように焼き付けるように見つめた。
「……魔法が解けたら山本と一緒に居られなくなる」
眉間にシワを寄せ、困り顔で呟いた。
手を伸ばして確かめるように俺の顔の輪郭をゆるりと撫でる。ツナは黙っていた。持ち前の儚さが強調されて何だか苦しくなる。どうしてと問いたかったけれど、返ってくるであろう返事は予測できたので飲み込んだ。肝心な部分がいつもぼやけている。その靄のかかった部分さえ抱きしめてやりたいのに、ツナは頑なにそれを拒む。拒む理由すら話してくれない。
「俺、何があってもツナのこと、ずっと好きだぜ」
俺の頬を撫でていた手首を掴みそう言うと、ツナは笑った。けれどその笑顔は失敗していて、半分以上が泣き顔のそれだった。
結局、半ば強引に自宅に連れ帰った。ツナは頑なに十二時前に帰ると言っていた。その瞳は何だか得体の知れないものに怯えている風であったのに気付けばよかったのだ、歯の当たる下手くそなキスをしたらそんなことは意識から追い出されてしまった。ツナの白いうなじに赤黒く浮き上がった、上から下に走る傷跡のようなものが気になったけれど、訊いちゃいけない気がして、気付かないふりをしておいた。
ふと時計を見やると、日付が変わるまで三十分を切っていた。ツナも俺の視線の先にある時計を目にすると、慌てて脱ぎ捨てた服をかき集めだした。俺はその腕を掴んで引き留める。
「もういいだろ」
「よくない、帰らなきゃ」
「魔法とか、」
俺の手を振りほどこうとするツナの肩を掴んで、視線を合わせる。
「……関係ないんだ、魔法が解けても解けなくても、ツナが好きだ」
ツナは驚きに目を見開いて、一度はさ迷わせた視線を足下に落とした。
「……山本は、俺を嫌いになるかもしれない」
だからその前に繋がれて良かった。ツナは困った顔で笑った。
「そんなこと」
俺の言葉にも曖昧に笑うだけだった。
「そんな保証どこにもないよ」
「俺が保証する」
すぐさま返すと、ツナは面食らった表情をして、それから柔らかく微笑んで言った。
「山本、覚えててね、そのことを」
そして酷く悲しそうな表情で、視線を合わせずに呟く。
「俺はきっと身体が覚えてる、覚えてれば、いいな」
十二時が近づいてくると、次第にツナは不安そうな表情でそわそわし出した。俺は少しでもそれが紛れるようにツナを抱きしめた。魔法の正体が何なのか未だに分からない。でも俺は、例えツナが十二時の鐘と共に狐とか狸に変身したって、それで気持ちが変わるわけがないと確信していた。そのうちツナは俺の腕の中で静かに泣き出した。時折啜り泣く声だけが胸元から聞こえてきて、俺はますます強く抱きしめた。
魔法の正体は、狐や狸よりも質が悪いもので、愛を信じてもどうにもならない絶対的な圧力をもって翌朝、俺たちに降りかかってきた。
本当だった。
魔法が解けたら世界が変わった。
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