俺は犬だ。大きな黒い犬。走るのとボールが大好きだ。でも飼い主のツナと一緒にボール遊びをするのはもっと好きだ。ツナが投げるボールを俺がキャッチして、ツナの所まで持っていく。するとツナは俺の黒くて短い毛をわしゃわしゃ撫でてくれるんだ。嬉しい。ツナ、すげーだろ、俺。俺は口がきけないから、そういう気持ちでツナのことを見る。そうするとツナは、すごいね武偉いね、って誉めてくれる。伝わってんのかな、だったら嬉しいな。俺はツナのことが大好きだ。ツナが誉めてくれるのなら何だってするよ。ツナが笑顔になるのなら何だって。
ツナは時々俺の前で泣いた。ツナは母さんや友達には吐けない弱音を吐く。俺の前でだけだ。俺はどうしてやったらいいか分からなくて、泣いてるツナの前をウロウロして、元気出せよって言う。でも俺は口がきけないから、俺の元気出せよはクゥンという鳴き声にしかならない。ありがとうね武。ツナがそう言って悲しそうに笑うから、俺は首を伸ばしてツナの頬を舐めた。しょっぱい。
もし俺が人間だったら、両腕でツナを思いっきり抱き締めてさ、胸貸してやれるのに。泣いていいんだぜって言ってやれるのに。ツナ、俺の前では弱音吐いたっていいんだぜ、って気持ちを込めてツナを見つめるんだけど、ツナはちょっと泣いた後、すぐにごめんねって謝る。何で謝るんだよ。何で伝わんねーかな。それが悔しくて俺はまたクゥンと鼻を鳴らした。
ある日、ツナの母さんと父さんが喧嘩した。俺にはよく分からなかったけど、ツナは泣きながら母さんはもう帰ってこないんだって教えてくれた。優しい母さんだ。ツナの父さんと母さんは俺の父さんと母さんでもある。だからもう母さんと会えないのは悲しかったし、もう皆で海や川に遊びに行けないのが寂しかった。ツナは父さんと母さんと一緒にいるとき、すごく楽しそうなんだ。
母さんがいなくなってから、ツナはよく悲しそうな顔をするようになった。父さんは元々仕事で朝早く出かけていって、夜遅くに帰ってくる。帰ってこないときもある。ツナは一人ぼっちになった。そりゃ俺もいるけど、だって庭の犬小屋からはツナが家の中で何してんのか分かんねぇんだ。泣いてんのかもしれない。ああもし俺が人間だったら、両腕でツナを思いっきり抱き締めてさ、泣いていいんだぜ、俺がいるから、って言ってやれるのに。今じゃツナは俺とキャッチボールもしてくれない。
一日だけでもいいんだ。人間になりたいよ。ツナを抱き締めて励ましてやりたい。ツナの笑顔が見れないのは悲しい。ツナが悲しいと俺も悲しい。ツナが笑顔でいてくれなきゃ俺、死んでも死にきれない…って、死ぬわけじゃないけど。なぁ神様、俺を人間にしてくんねぇかな。じゃなかったら口をきけるようにしてほしい。どっちかでもいいんだ。ツナを抱き締めてやれる腕か、元気出せよって言ってやれる声が欲しい。お願いだよ神様、ツナが笑顔でいてくれなきゃ俺、死ぬより辛い。
「……武?」
ツナの声で目を覚ました。いつの間にか眠っていたみたいだ。辺りはもう真っ暗だった。何だか身体が妙に重い。でもツナが呼んでる。小屋から這い出した。
「……なに、ツナ」
え、
あれ?
びっくりしてツナを見ると、ツナもびっくりした顔をしていた。足元に目を向けると、そこにあったのはいつもの黒い足じゃなく、肌色の人間の手だった。俺は前足を持ち上げた。そしたら人間の手が上がった。その手で自分の顔を触ってみる。突き出た鼻がない。毛の感触もない。立ち上がる。二本足で立てた。俺を見下ろしていたツナを俺が見下ろしている。ツナは俺を見上げたまま口をパクパクさせている。
「……ツナ、俺、人間になった」
ツナはぎゃああと悲鳴を上げた。
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