ツナは慌てて家の中に引っ込もうとした。俺は引き留めようとして前足を前に出してみる。あ、長い。俺の前足……じゃなかった手は、ツナの腕を捕まえた。ツナはひゃあと変な声をあげる。

「ツナ、逃げんなよ」
「やだ、誰、あんた!」
「武」

 お化けでも見るような目で俺を見るツナ。

「ツナ、神様ってホントに居るんだよ、俺、神様にお願いして人間になった」

 その言葉を聞くと、ツナは泣きそうな顔になった。

「……神様なんていないよ」

 ――神様がホントに居たんなら、何で俺の母さんは居なくなっちゃったんだ。

 そのツナがあんまり悲しそうな顔をしていたものだから、俺はびっくりして手を離してしまった。ツナはその隙をついて逃げ出して、玄関へ引っ込んでしまった。俺は犬小屋の前にポツンと取り残される。
 せっかく人間になれたと思ったら、ツナは人間の俺には心を開いてくれないのか。悲しくなった。これじゃ人間になった意味がない。“神様なんていないよ”。ツナは言った。じゃあ人間になった俺って何なわけ? 小屋に引き返そうと踵を返したら、足元で鎖がじゃら、と鳴った。首に手をやると、ちゃんと首輪がはめられていた。俺の首輪だ。俺の一歳の誕生日にツナがくれた首輪。やっぱり俺、お前の飼い犬の武みたいだ。飼い主のお前に否定されたら、俺、一人ぼっちじゃん。

 人間の身体ってのは不便だ、うまく丸くなれないし小屋にも入りにくかったから、仕方なく小屋に寄りかかって過ごすことにした。まとっていた毛がないだけ少し肌寒い。神様が用意してくれた服も毛皮の代わりにはなりやしない。くしゅん、とくしゃみをしてしまった。すると、玄関の戸が微かに開いた。ツナがこちらの様子を伺っている。俺は嬉しくなった。

「……あんた、誰なの」
 ツナは玄関の外まで出てきて、恐る恐る訊ねた。
「だから、武だよ」
「嘘。だって武は犬だもん」
「人間になったんだよ、ほら」
 立ち上がって俺は、自分の首輪を引っ張ってみせる。
「……これ、ツナがくれたんだ。俺が一歳の時、誕生日プレゼントって」
 ツナの顔には何で知ってんのって書いてある。しめた、と思った。
「俺がまだ小さい頃に、父さんと母さんと一緒に海に行ったの覚えてるか? あんとき母さんの麦わら帽子が風で飛ばされて海に落ちてさ、俺が取りに行ったんだ。そしたらツナが、武泳ぐの上手いねってすげー誉めて、」
 そこまで言って気付いた。
 ツナ、泣いてる。
「……ツナ、ツナ。なぁ泣くなよ」
 俺はどうしたらいいか分からなくてその場をウロウロした。首輪に繋がった鎖が歩く度にじゃらじゃら鳴る。
 ツナが涙をボロボロ溢しながら近寄ってきて、俺の前で立ち止まる。泣かないでくれよ、ツナの泣き顔は見たくねーんだ。だから俺はツナを思いっきり抱き締めてやった。ツナってこんなちっちゃかったっけ。人間になった俺がデカいのか。俺の腕の中にすっぽり収まったツナは、俺の胸に頬を押し付けてわんわん泣いた。



 ツナは俺の鎖を外して、家の中に入れてくれた。ついでに泥だらけだからってお風呂に入れてくれた。ツナと一緒に入るお風呂は楽しかった。ツナは何か変な顔してたけど。そんで自分のじゃ小さいからって父さんのパジャマを貸してくれた。父さんは、って訊いたら、今日は帰ってこないんだって。そっか、って言ったら、ツナは悲しそうな顔をして笑った。

 その夜は、ツナの寝顔を見ながら、神様のことを考えた。“神様がホントに居たんなら、何で俺の母さんは居なくなっちゃったんだ”。ツナはきっと、ずっと父さんと母さんと三人で暮らせますようにって神様にお願いしてたんだ。何でツナの願いは叶えてやらないのに俺の願いは叶えるんだ、俺はツナが笑っててくれなきゃダメなんだって、ツナを笑顔にしたくて人間になったのに、こんなんじゃ意味がないじゃないか。神様は意地悪だ。



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